いま、この時、世界を騒がせているニュースに、イスラム国というテロ集団に、日本人ルポライターの二人が殺害され、日本の国家が標的にされた事件である。

 殺害されたのは湯川遥奈さんと後藤憲次さん共に日本人である。そして今後は日本にもターゲットとして、宣戦を布告してきたのである。さらにイスラム国では、今後5年間で中東地域をほぼ同化させると、宣言している。

 このやり方は、今までの戦争とは完全に違う点がある。今までの戦争は国家と云う対象が戦争の相手国であった、そのため瞬時に破壊できる大量破壊兵器が睨みを効かす効果があり、第二次世界大戦後は、その谷間で平和が保たれたのであった。

 しかし、テロの戦略は、この兵器が用を成さないのである。

 わが国も外国人を受け入れる貿易産業や観光産業が日本の財源の重要部分である。

 テロはこの中にいつでも潜入出来るであろう。いまはシリアとイラクの彼らの戦場の本拠地での事件であったが、もしわが国の地域であったならどれ程の脅威であったか?。

 この破壊のエネルギーは何なのか?これを語らない限り解決法は無いのである。

① 絶対的なものは宗教的価値観である。絶対神という名の下にその指導者が成り代わり神の権威を欲しいままに振舞う事が出来る。

 神は崇高なもの、冒してはならないもの、人は神には絶対に従うもの、これに逆らうものは、悪魔が乗り移ったとされ、神の従者に苛められ暴力を受けたり殺害されたりする。其れゆえ神の従者は暴行も殺害も正当化されてしまい、それがエスカレートしているのです。

② これだけ科学が進んだ近代文明でありながら、未だに人類は不合理な神や宗教を超える事が出来ないのである。正しい宗教の批判は必要不可欠なものなのであります。

 五次元の概念の推奨する、宗教批判の原理は、文証、理証、現証の三証に合致する事が正しい矛盾のない宗教と言えるのです。

③ 数世紀前、フランスで起きたフランス革命は神の呪縛と戦って自由を勝ち取った革命であった。そのごヨーロッパではルネッサンス運動と共に自由な発想が文化や産業を大きく発展させたのであった。しかし、神を超える価値観は確立していないのである。

④ 五次元の概念では、文証、と理証、は確立されています、が、現証の鍵は隠してあります。

⑤ いかに神の名を語ろうとも、理不尽で横暴な行為は、我々人間が許す許ないでは無く、五次元の生命の法則が許さないのである。それは国家にも個人にも及ぶ因果として自分に被るであろう。

⑥ この事実は日本の戦中戦後に現れた。軍部の思想に天皇を現人神(あらうどかみ)とあがめ奉り、天皇の名の下に軍部の命令に従伏され、武力による外交を強制してきた。

 やがて、天罰とも云える原爆が広島と長崎に投下され、連合軍アメリカに無条件降伏を受け入れ終戦となったのである。

 この時、昭和天皇の御言葉に「耐え難を耐え、忍び難を忍び、以って戦争の終結を・・」
  と、苦渋の決断をされたのである。

 五次元の原理の中に、罪業を深くした者も、忍耐をすることで、その罪業を軽くする事ができる」とありますが、まさにあの当時の天皇の宣言はわが国の罪業をも軽くしたものであった。もしあの時、天皇の御命に従わず、部分的に戦争をしていたら、日本と云う国家は散じりに分裂してしまったであろう。

 そして、負けて殺されても、恨みを持たなかった事が、その後の戦後復興に大きく貢献し世界第二の経済大国とまで言われる様になったのである。

⑦ わが国の諺に「負けるが勝ち」と言うのがある。これは誰に対しても負けるが勝ちでは無い。勝つ相手が人道的に許せるかどうかである。幸いにもアメリカは立派な相手であった。この例は日本の戦国時代、豊臣秀吉が死去したあと、徳川家康が国家を治めようとしていた時、九州を制覇した黒田如水が家康と一戦を交える情勢であった。

  もし権力だけを目指していた両者なら、あの戦争はもっと続いたであろう。
如水は家康と向かった時、家康も戦争を終結させる決意の固いことを悟り、家康に国の運命を預けたのである。その後300年以上も 国内での戦争は無かったのである。

⑧ 中東、神を中心とする、戦争の罪業は、4,000年もの歴史を持つ、と言われ、その恨みは消えた事がない。これは神の呪縛から抜け出せていない事実なのである。

 これは負けると言う事は、神に恥辱を与えた事になり、許されない事と思っている事が根底にあるからであろう。命に代えてもこの敵は討ち取る。と言う事になる。

 また、勝った方は勝ち誇ったように、自由気ままに、贅沢三昧を見せ付ける、また負けた方の国益も奪ってしまう。これではいかに人間であっても修羅界の命のエネルギーは増幅してしまうだろう。

 解決は、勝った方は慈悲を重んじ、負けた方は忍耐と謝罪で罪を軽くし互いに譲り合える関係を保つ事が大事なのではないか。

⑨ 小さい事では、プライバシーとか誇りとか名誉だとかを以上に重んじる傾向がある。

  これは、他人が見て護ってやるべきもので、自分が誇張すると必ず敵を作ることを知らねばならない。そのことで裁判件数が最近では異常に増えてきた。さらにアメリカでは人口比率で日本の10倍もあると聞く。

 自由の国なのにこの事でかえって自由が崩壊しているのではないだろうか。

 これはまさに修羅場の世界である。住みにくいストレスの増幅する世界である。

 経済力のあるものは弁護士を沢山抱え、貧弧の者はその抵抗すら出来ない。

 これらがイスラム国家に流れ事件を拡大して行くエネルギーになっている様な気がする。